近代日本の国家意識への対応--台湾高砂族を例として-- 

傅琪貽

2014/4/2

1895年台湾を日本の領土にしてから、台湾総督府は台湾原住民族を「生蕃」と称して法の適応外に置いた。しかし島の大部分を占める「蕃地」を官有地として開発するのに、「生蕃」の抵抗は予想外に強く阻害要素としてあった。当局は台湾原住民族対策として、先には武力による「理蕃」政策を、後には撫育政策を、そして最後には強力に皇民化を展開した。

本論では、台湾原住民族の日本植民地統治下における国家意識への対応について、1930年の高砂族命名以来1937年7月蘆溝橋事變以後の皇民化に至る過程を分析する。ここでは日本が皇民化政策をとって台湾原住民族を戦争協力に動員したのに対して、動員される原住民族側も協力と引き換えに「自立」と「自尊」を取り戻す努力をした。そこには当局が高砂族の協力を主体的に引き出す意図があったと同時に,原住民族側にとっての人間回復の念願がかかっていた。しかし戦争協力は原住民族側に予想外の多大な犠牲を強いたのであった。

キーワード:日本植民地統治、理蕃政策、台湾高砂族、皇民化、戦争協力、國家意識

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